狛江市議会 2021-12-03 令和3年第4回定例会(第20号) 本文 開催日: 2021-12-03
この多摩川住宅は敷地33万4,000平方メートル,賃貸住宅1,826戸,分譲住宅2,048戸,計3,874戸の規模を誇る団地で,12階建ての高層建築をはじめ大型店舗の導入,野球場,テニスコート,公園のほか小・中学校3校を含む公社初のマンモス団地でありました。
この多摩川住宅は敷地33万4,000平方メートル,賃貸住宅1,826戸,分譲住宅2,048戸,計3,874戸の規模を誇る団地で,12階建ての高層建築をはじめ大型店舗の導入,野球場,テニスコート,公園のほか小・中学校3校を含む公社初のマンモス団地でありました。
この視察を経て私が感じたことは、鶴川団地という東京都でも有数ないわゆるマンモス団地での事例であることから、ロケーション的には青梅市と同一にはかれないという点は踏まえますが、とはいえ、この運営と、またシステムづくりは我が市でも生かせるものがあると感じています。
2問目には、地域包括支援センターの出張所として、例えば、百草団地のようなマンモス団地に、高齢者見守り相談室が設置できないでしょうか。御答弁をお願いします。
◆17番(前田善信君) 村山団地は、都内有数のマンモス団地でございます。そのため、来訪する人も多くなっております。都は建てかえ事業中のため検討に至っていないとのことでございますけれども、建てかえ事業が完了するまではまだ10年程度かかる予定とのことでございます。
終戦後20年目に生まれた私は、当時の文化住宅と言われ、多くの子供たちに囲まれたマンモス団地で育ち、高速道路や都心の高層ビルが次々と建設されていくのを目の当たりにしながら成長してきました。 新しい公共施設やインフラをつくるという拡大を続けてきたこれまでとは違い、これからは、その恩恵を受け続けてきた環境の変化をも含む公共施設のつくりかえが区の責務となってきます。
そうしたときに安心して、例えばコインパーキングの駐車場をせめて団地内につくっていただければ本当に安心かと思いますので、ぜひ村山団地での導入を、今年度から25団体に拡大するということでございますので、あわせてこのマンモス団地でございます村山団地に導入をしていただきたく要望しておきますので、どうぞよろしくお願いします。
当時の赤羽台団地は、三千三百世帯の東洋一のマンモス団地でした。都心に近い一等地として人気を博し、若い子育て世代が入居しました。そのため、敷地内には二つの小学校と一つの中学校がありましたが、現在は赤羽台西小学校のみです。今後の世帯推計として、東京都都市整備局の資料によりますと、赤羽台地域は三千四百世帯となっております。そうなりますと、赤羽台西小学校がこの地域の児童を全て受け入れることとなります。
この目的というのが、当時、東洋最大のマンモス団地と言われたことがありまして、これが建てかえですとか市街化、市街地の整備が進んでいるということから、大学のまちとしてのイメージアップを図っていきたいということと、観光としてのPRになるといったところで、費用は大学側が負担したということもちょっと聞きおいておりますけれども、一番近いところではそういったことが今確認できているところでございます。
建ち並ぶ白いマンモス団地群はその象徴でしょう、こう触れております。 このところ、この団地を舞台にした映画や小説が脚光を浴びているように思われます。
その後、昭和43年、都営地下鉄三田線が開通し、昭和47年、東洋一のマンモス団地と言われた高島平団地が完成いたしました。私も、昭和47年、板橋区へ来まして、同団地の大きさには、最上階に上って目を回した記憶があるほどであります。
背景でございますが,村山団地は昭和41年に完成した5,260戸のマンモス団地でございます。昭和の時代は商店街及び周辺の商店も繁盛していた。年月が経過し,建てかえ時期となる。居住者は平成12年から,建てかえに伴い順次高層住宅に移り住んでいる。平成23年,高齢化率が約45%となる。新しい高層住宅は商店街から少し遠く,高齢者の買い物頻度が減る。
板橋区におきましては、マンモス団地を擁する高島平や商店街が元気な大山など、一定の知名度を有する地域もございますけれども、いわゆる憧れの街として認知されているかというと、残念ながらそうではないかなというふうに考えております。 ◆川口雅敏 この項の最後に、板橋区はいたばし未来創造プランに掲げる、東京で一番住みたくなるまちについて、昨年政策経営部長がこのように答弁をしておりました。
国内有数のマンモス団地を擁する高島平地域について、高齢化の進行やインフラの更新時期の到来など、現在から将来にわたる課題を解決するとともに、健康で住み続けられ、魅力と活力にあふれたまちへの再生を目指して、地域全体のグラウンドデザインとなる基本構想を定めるとともに、高島平駅前に集積する旧高島第七小学校跡地を含む、約2ヘクタールの公共用地の再整備計画の策定に取り組んでまいります。
◆大田ひろし 高島平地域まちづくりのこの件なんですけども、これは昭和40年代にこの団地ができて、全国にマンモス団地として、しかも近代的なマンモス団地として発信されたと。
特にこの戸山ハイツというのは、マンモス団地で都営住宅なんですけれど、高齢化率が45%ということで大変な高齢化率になっていて、そうした中で地域の方々が見守り活動、また病気になっても何があっても、何か心配なことがあったときにはいつでも寄れる、そうした地域の保健室ということで、今、多くの方々から頼りにされているものでした。
戸山ハイツのようなマンモス団地の課題解決に向けた取り組みを参考にしたい。団地の数が多ければ、さまざまな課題に対して具体的にどのように対処されたかという先行事例が多くあると思うので、ぜひ聞かせてほしい」ということでした。
高齢化の著しい山崎、木曽の2つのマンモス団地の人口はピーク時の半分以下となり、最初から住んでいる方たちは皆70歳後半になっています。1月には介護や生活苦が原因で高齢世帯の無理心中があったばかりです。また、団地商店街でも買い物客の減少で廃業する店が続出しています。
当時の常盤平駅前から団地の中央を通るけやき通りが、新・日本街路樹百景に選ばれるなど、緑豊かな環境の中に建つマンモス団地。ところが、時は流れて高齢化の中で2001年10月に起こったのが、69歳男性の孤独死。1DKのダイニングキッチンの板の間で死後3年が経過した男性の遺体が見つかりました。その翌年にも単独世帯の男性が死後4ヵ月たって発見されたそうであります。
この二つのマンモス団地の周辺には、帝京大学、明星大学、中央大学など多くの学生が通学していて、最近では、明星大学のように学生ボランティアセンターを開設して、学生の福祉、防犯、防災やまちづくり、高齢者の見守りや買い物弱者対策のような地域貢献にも積極的に参画するきっかけづくりをされている大学もふえてきました。
また、高島平団地ができた当時は、大規模集合住宅のマンモス団地として全国から脚光を浴びました。今では新たな高齢化という問題を突きつけられていますが、再び高島平が全国のモデルとして再生していくための、高島平再生プロジェクトの構築を求めます。それは板橋の元気なまちづくりの希望の象徴になるはずです。